終活とは2000年代に生み出された比較的新しい言葉であり、週刊誌やメディアにて頻繁に取り上げられることで一般化していった概念と言えます。
私自身葬儀の仕事を長年やっていますが、この「終活」という言葉があまりしっくり来ていません。というのも発信する人によって、この終活の定義や範囲が異なっていることが多く、共通言語として理解されているのか、曖昧なことが多かったりするからです。
葬儀、お墓、相続、生前整理、それをまとめるエンディングノート、このあたりを包括し、事前に準備していくことが「終活」というのが、一般的な定義かと思いますが、言葉が生まれた時期からこの「終活」の守備範囲が少しずつ変わってきているように感じますので、以下説明します。
終活=断捨離?
もともと終活は自分自身が死んだときに迷惑がかからないように、あらかじめ準備をしておこうというコンセプトがあり、その中で、お葬式をどうするか?お墓をどうするか?というようなことも考えよう、というメッセージがありました。
またエンディングノートも自分自身の意志を家族に伝えるという意味で作られたものでしたが、実際の葬儀や仏事の現場事情は少し異なっていたかと思います。
というのも、葬儀に関してもお墓に関しても、最終意思決定者は家族ですが、本人が準備をしていなかったから困る、というケースは実はあまり起こりません。
もちろん、本人の遺志を尊重して、その通りにしてあげたい、というプラスの面での意味はあるかと思いますが、どちらかというと遺族が望む形で葬儀やお墓は決まっていくことが多いです。
終活で準備する人の目的は「子供たちに迷惑がかからないように」ということが多く、そういった意味では事前に自分自身が葬儀やお墓の準備をすることは多くの人にとって、あまり重要な事柄にはなりませんでした。
そういった背景もあり、現時点において「終活」という言葉が使われる場合、自分自身が死んだ後のことを考える、というより、生きている間に持っているものを整理し、無くしていこうという意味で使われるほうが多くなってように感じられます。
身の回りにある不要なものを片付けて、できるだけ小さくする、いわゆる「断捨離」を人生の終末期に行うことが「終活」と言われるようになっているのかもしれません。
何を捨てて、何を遺していくのか
「断捨離」という言葉は、「(新しいものを手に入れることを)断つ」「(持っているものを)捨てる」「(ものに対する執着から)離れる」という意味のようですが、すべて捨ててしまえる人は稀な人であって、多くの人は「次の世代に遺したいもの」もたくさん持っているものではないでしょうか?
そういった意味では、終活とは、捨てること、無くすことだけではなく、「遺すこと」も考えて頭の整理をしていくのがよいかと思います。
人それぞれなので、無責任なことは言えませんが、子供たちに「あまり迷惑をかけたくない」という思いだけで終活を進めていくのはなんだか寂しい気もします。迷惑かけてもいいから、何か次に伝えたいものとかやってほしいこととか、あってもいいというのが、子供の目線かもしれません。
整理の方法としては、「身の回りの棚卸をする」「不要なもの・遺したいもの」にわける、という手順がよいかと思います。
具体的な「もの」とは何か
もし、ひとり暮らしの人が家を残したまま亡くなってしまった場合、その家の「遺品整理」をすることになります。
遺品整理業者に頼んで全部処分することは可能ですが、残された家族が困ることは「果たして全部捨てていいものだろうか?」という心残りや気持ちの問題です。
誰かと同居していても、私物に関しては、あらかじめ「全部捨ててくれ」と言われるより、「これだけは残しておいてほしい」と頼まれるほうが気が楽かもしれません。
残されて迷ったり困ったりするものは、「大きなもの」というより「心が残るもの」の行方になるかと思います。
例えばタンスだとか机だとかは大きいものですが、処分するのはそこまで「心残り」にはならないのですが、以下のものはやはり悩む人が多いので、どうするかを本人が決めておくのがよいかと思います。
- 写真
- アクセサリー、宝飾品類
- 衣類、着物(お気に入りのものや高価なもの)
- トロフィー・賞状
- 人形
- 手紙
こういった家にある「心が残るもの」の棚卸しをして、それぞれ処分するもの、死ぬまで持っておきたいもの、遺したいもの、に分けておく、それだけでずいぶんと家族が心理的に助かる部分は大きいかと思います。
「もの」の処理自体は、遺品整理業者に任せることはできますが、業者の視点だと、捨てるものなのか、リサイクルして売れるものかで、判断することはできますが、遺したい気持ちの本当のところは、本人や家族にしかわかりません。
そういった気持ちが通じるような終活ができれば、とても有意義なものになるかと思います。

